昭和・忘年会ブーム探訪!
昭和・忘年会ブーム探訪!
お正月や端午の節句などの代表的な日本の年中行事の中でも、形式にあまりにしばられない忘年会は、特に時代を映す鏡といえるイベントです。昭和の「忘年会ブーム」の当時を振り返りつつ、ビギナー幹事さんも時代に合った忘年会の姿を探ってみましょう!
昭和忘年会の夜明け
太平洋戦争が終わって約10年が過ぎた1956年(昭和31年)、「もはや戦後ではない」という言葉が時代を象徴する流行語になりました。のちの経済大国ニッポンの基礎となる高度経済成長期が始まったこの頃、庶民が豊かな暮らしの象徴として夢見たのが「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」のいわゆる『三種の神器』。とはいえ、まだまだ庶民にとっては高根の花で、少し裕福な家庭か街頭テレビに集まっては、国民的ヒーローであるプロレスラーの力道山の試合に熱狂していた、そんな時代です。ちょうど神奈川県の新横浜にあるラーメンのフードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」の昭和三十年代をイメージした街並みの風景や、映画「ALWAYS三丁目の夕日」の舞台となった時代設定を思い浮かべると、しっくりくるかもしれません。戦争が終わって庶民がようやく笑顔を取り戻し始めたそんな時代に、満を持して到来したのが「忘年会ブーム」です。
花形は企業の忘年会
もともと都市部のサラリーマンがその担い手だった忘年会。とはいえ戦前は都市部のサラリーマン自体が少なかったので、忘年会まだまだ特権的な色合いのある、ちょっとセレブなイベントでした。しかし戦後になると高度経済成長期の波に乗って日本人の働き方も激変。地方から都市部への集団就職もさかんに行われるようになり、都市部のサラリーマンが急増したことにより、あっという間に「忘年会の大衆化」が進みました。そうした背景から忘年会の中でも、現代と変わらず花形だったのは企業の忘年会。「所得倍増計画」も発表されたこの時代、企業が交際費や福利厚生費を使って忘年会をさかんに開催するようになったのには、どうやら深い理由があったようです。
忘年会で人材確保?
仕事がどんどん増えて業績も右肩上がりのこの時代、好景気が嬉しい反面、慢性的な人手不足が企業側の大きな悩みでした。そうした中で一人でも多くの人材を安定的に確保しようと多くの企業で採用されたのが「終身雇用制度」です。社員が定着してずっと安定的に働ける終身雇用制度の環境を整えるためには、どうしても社内を安定したコミュニティにする「仲間意識」や「帰属意識」が必要で、それを高める親睦の場として積極的に開催されたのが社内行事。その中でも一年を締めくくる「忘年会」が盛大に行われるようになったのです。時代も変わって終身雇用制度自体は少なくなりましたが、「良い人材を確保したい」という企業側の気持ちは平成の現代も同じ。少子化や求人倍率向上の影響もあって「人材不足」は今も共通の悩みのはず。もし参加した新入社員たちに「ずっとこの会社で働きたい!」と思われるような忘年会を演出できたら、伝説の褒められ幹事さん誕生かも!?
景品パークおすすめコンテンツ