明治維新150周年記念 福澤諭吉諭吉がすゝめそうな景品<外遊をしてわかった、教育の大切さ>
外遊をしてわかった、教育の大切さ
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉はきっと、だれもが知っている名言でしょう。
日本の最高額紙幣、一万円札の肖像画で有名な福澤諭吉もまた幕末の動乱期を人材の教育面で支えた維新の人です。明治時代の
ベストセラー「学問のすゝめ」の著者としても有名ですね。
福澤諭吉はもともと中津藩(現在の大分県)の下級武士の二男坊として生まれました。
向学心が旺盛だった彼は20歳の頃、出島のあった長崎へ遊学し、蘭学とオランダ語を学習。その後、蘭学者で医者でもある
緒方洪庵が大阪で開いた私塾・適々斎塾(通称:適塾)に入門。塾頭まで務めます。それから藩命で江戸に蘭学塾を開き、これが
現在の慶應義塾大学のもとになります。
ペリー来航を受けて、日米修好通商条約を取り交わすため、勝海舟や通訳のジョン万次郎らとともに幕府の軍艦、咸臨丸に乗って渡米。その後も遣欧使節団に随行してフランス、イギリス、オランダ、ロシア、ポルトガルを歴訪しました。
実際に目の当たりにした日本と欧州の文化的なギャップに驚いて、閉鎖的な日本にも洋学の普及が必要不可欠だと痛感した
ようです。慶應義塾大学を設立し、のちに「明治六大教育家」と称される幕末から明治維新後にかけた日本を支える、人材教育へのあふれる情熱を感じますね。