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2018年は明治維新から150周年。明治維新といえば勇ましい維新の志士をイメージしがちですが、文明開化の面から支えた志士もいます。たとえばイベントの会費などで支払う際にお目にかかる一万円札の福澤諭吉も、実は明治維新を教育面で支えた立て役者です。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉はきっと、だれもが知っている名言でしょう。
日本の最高額紙幣、一万円札の肖像画で有名な福澤諭吉もまた幕末の動乱期を人材の教育面で支えた維新の人です。明治時代のベストセラー「学問のすゝめ」の著者としても有名ですね。
福澤諭吉はもともと中津藩(現在の大分県)の下級武士の二男坊として生まれました。
向学心が旺盛だった彼は20歳の頃、出島のあった長崎へ遊学し、蘭学とオランダ語を学習。その後、蘭学者で医者でもある緒方洪庵が大阪で開いた私塾・適々斎塾(通称:適塾)に入門。塾頭まで務めます。それから藩命で江戸に蘭学塾を開き、これが現在の慶應義塾大学のもとになります。
ペリー来航を受けて、日米修好通商条約を取り交わすため、勝海舟や通訳のジョン万次郎らとともに幕府の軍艦、咸臨丸に乗って渡米。その後も遣欧使節団に随行してフランス、イギリス、オランダ、ロシア、ポルトガルを歴訪しました。
実際に目の当たりにした日本と欧州の文化的なギャップに驚いて、閉鎖的な日本にも洋学の普及が必要不可欠だと痛感したようです。慶應義塾大学を設立し、のちに「明治六大教育家」と称される幕末から明治維新後にかけた日本を支える、人材教育へのあふれる情熱を感じますね。
明治維新を担う人材を多数、輩出した緒方洪庵が開祖の大阪の私塾・適塾の塾長を務めていた頃から、塾生を連れてよく牛鍋屋に通い詰めていたという諭吉。まだ肉食が禁じられていた明治維新前の幕末から、アメリカに2度、ヨーロッパに1度渡っていた諭吉にとって、肉食文化の普及は西欧に追いつき、追い越せ、の精神から必要だったのでしょう。明治3年には「肉食之説」といった著作物も書き、肉食文化の宣伝に努めています。
現代で「諭吉(ゆきち)」といえば、なんといっても日本で発行されている紙幣の最高額麺の「1万円札」でしょう。1万円をイベント当日に配ることは難しくても大丈夫。皆さんに喜んでもらえる「諭吉景品」はあります!
肉食が幕府から禁止されていた幕末から、適塾の塾生を連れてこっそり牛鍋屋に通っていたという福澤諭吉。そんな文明開化の時代から進化した日本の美味しい黒毛和牛の食文化をぜひ味わってみてほしいですね!ご自宅に届く牛肉景品なら、甘い割下の「牛鍋」で文明開化の贅を味わってみるのもオツかもしれません!!
≪参考サイト≫
・ウィキペディア「福沢諭吉」
≪写真出典≫
明治24年(1891年)頃の写真。日本銀行発行紙幣の原画となる。
・幕末維新メシ(趣味どきっ!) ムック (NHKテキスト2018)