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2018年は明治維新から150周年。会社の年中行事では社長や役員などには歴史マニアも多いので、宴席を任された幹事さんは重役の出身地も含めて押さえておきたいポイントです。今回は倒幕の中心となった長州藩(現:山口県)の名産「ふく」景品のお話です。
本州の西端、現在の山口県。明治維新以前の150年以上前は「長州藩」です。長州藩といえばまさに薩長同盟、江戸幕府の倒幕運動の中心と言えます。そんな土地柄もあり、幕末の下関は当時、血気盛んな志士たちで満ちあふれていました。
そんな下関で廻船問屋の豪商でもあり志士でもあった白石正一郎が記した「白石家文書」のなかには、たびたび「ふぐ料理」という言葉が出てきます。
吉田松陰や奇兵隊を立ち上げた高杉晋作とも親交が深かったことから、白熱する日々の倒幕談義の席で「ふぐ料理」が振る舞われたことも想像できますね。
その毒性から江戸時代はずっと禁止されていた「ふぐ」の食用を解禁したのも、実は同じ山口県出身の初代総理大臣、伊藤博文。
今でも「ふぐの本場」と言われる下関にしかない特別な歴史の足跡を感じますね。
そんな長州藩(現:山口県)で活躍した志士たちが食したであろう、下関の「ふぐ料理」。
昔は死を覚悟しても食べたくなるほどの食材でしたが今では調理技術も進んで、誰もが安心して楽しめるニッポンを代表する美食です。
安心して食べられる「ふぐ」はそのまま「ふく(福)」ともつながり、結婚式二次会や社内式典などにふさわしいまさに縁起物の景品。
明治維新から150周年にふさわしい本場下関直送の「ふぐ料理」の景品をご紹介します。
会場全体にわかりやすい「ふぐ」過ぎるパネルがついた景品です。
「ふぐちり」「ふぐからあげ」」「ふぐ一夜干し」の中から選べます。
とらふぐの希少部位「身皮」を使用した贅沢な一品をお楽しみいただけます。
まだ調理方法が確立していなかった明治維新の当時、死に至る可能性のある「ふぐ」を食べることはとても勇気のいることだったようです。大きな仕事にチャレンジした人や新人賞などで誰かの「勇気」を称える景品として、「ふぐ景品」はピッタリかもしれませんね!