忘年会はじめて物語
一年間の苦労を忘れるための「忘年会」。そんな日本ならではの独自の文化「忘年会」の起源や歴史を振り返って学ぶことで、温故知新の気持ちで今年の忘年会に活かしましょう!
「としわすれ」で貴族も意気投合?
「忘年会」の前身といわれるのが「としわすれ」という言葉で、諸説ありますが最も古い文献に登場したのは室町時代のこと。貴族の連歌会の納会で、お酒を飲みながら百韻を終えて本格的な酒席にとなり、乱舞するほどに盛り上がった様子を、「年忘れのようだ」と日記に書かれています。連歌という共通の趣味を持った仲間が年末に集まりお酒を酌み交わしながら「来年はもっと良い歌を詠おう!」なんて意気投合しているシーンを想像すると、ちょっと微笑ましい光景ですよね。
赤穂の討ち入りは忘年会の翌日?
「としわすれ」はその後、江戸時代の豊かな町民文化の間で定着していきます。お金を持っている江戸の豪商を初めとする町人たちはもちろん、武士の中でも年末にお酒を飲むという習慣は広がっていました。ときは元禄15年(1702)、あの有名な「赤穂浪士」が主君の敵である吉良邸に討ち入りし、悲願の仇討ちを果たしたのは旧暦の12月14日。四十七士が実に3倍もの吉良側の手勢を相手に圧倒的な優勢で討ち果たすことができたのは、一説によると前日、吉良邸で忘年会があり、二日酔いの寝こみを襲われたからではないか、という説もあります。忘年会の翌日にもし仕事がある場合は、企業戦士も飲みすぎ注意という教訓を感じるエピソードですね。
主君や親を想った「忘年会」
そうした中で「忘年会」という言葉が初めて文献に登場したのは、江戸文化が花開いた18世紀半ばのこと。随筆『古今物忘れ』のなかで「主君や親がまた一年、年齢を重ねる悲しみを忘れるためにお酒を飲むのが忘年会の本来の姿なのに、そうではない現状がなげかわしい」といった意味の内容が記されているそうです。現代では自分たちの一年の苦労を忘れるための忘年会ですが、本来は「大切な人」への愛情や労わりこそが本来の精神だったんですね。自分ではなく「他人が主役」という意味合いでは、現代の忘年会の幹事さんにも負けてはいないはず。日頃お世話になっている皆さんに感謝と労わりを込めて、会場選びや景品選びなどに励んでみてくださいね。
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