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尊敬する勝海舟の弟子となり神戸海軍操練所で操船術を学んだ坂本龍馬。日本初の貿易会社である海援隊で活躍した「いろは丸」、船中八策を仕上げた「夕顔丸」など船の存在なしでは坂本龍馬の人生は語れませんね!
京都伏見の旅館、寺田屋で奉行所の役人に襲われて手傷を負った坂本龍馬。西郷吉之助(のちの隆盛)らの計らいにより薩摩藩でしばらく温泉湯治をしながら療養することになりました。寺田屋事件で大活躍して龍馬の命を救った妻のおりょうも同行したことから日本初の「新婚旅行」ともいわれています。
坂本龍馬の偽名のひとつが才谷 梅太郎。高知県に移り住んだ坂本家が最初に住んだ地名「才谷」によるものです。この偽名にちなんで才谷龍馬公園には桜が植林されており、時期になると見事に咲き誇るそうです。
坂本龍馬を代表する名言といえばなんといってもこのひと言でしょう。
日本を今一度洗濯いたし申し候
姉の乙女や嫁のおりょうさんなど女性を大切にした
龍馬にはこんな香る洗濯景品も喜ばれそうですね。
坂本龍馬はとにかく筆まめな人で、姉の乙女をはじめ、各藩の要人などに当てた手紙が現在でも130通以上も残っています。大きな仕事を成し遂げるためには何よりもコミュニケーションが大切だとよく知っていたんですね。幹事さんも仲間や上司、ゲストとの連絡を大切にして、忘年会や新年会などのイベントをぜひ大成功に導いてください!
≪参考サイト≫
・ウィキペディア「坂本龍馬」
≪写真出典≫
・上野彦馬写真館にて井上俊三が撮影。高知県立民俗歴史資料館所蔵品